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2月の船便スケジュール 

カルブリッジトレーディング アメリカ発2月の船便スケジュールは貨物締め切りが1月25日、本船の東京港入港は2月22日です。

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ボストンマラソン2009 

さあ、今日はマラソン当日である。目覚ましを6:30AMにかけたが5時過ぎには自然に目が覚めた。CA時間では午前2時だが緊張のせいだろうか?眠くは無い。

ご飯パックとスープを持ってホテルのダイニングに行くが電子レンジが見当たらない。ウエイトレスにお願して暖めてもらった。ご飯パックなんて見たこと無いだろうね。
ご飯パック、スープ、インスタント味噌汁といわしの缶詰でしっかりと腹ごしらえする。やはりレースの朝はご飯がいい。パンやバナナでは力がでない。日本人だな~と思う。
そういえばテニスの伊達公子さんは海外ツアーのときホテルの部屋に電気釜を持ち込んでいたと雑誌のインタビューにこたえていたっけ。

支度を済ませてロビーに降りる。昨日予約しておいたTommy's TaxiのBrianという大きなひげもジャの運転手がちゃんと待っていてくれた。車に乗り込みスタート地点に行くシャトルバスの出発するSTATE PARKに向かう。
STATE PARKには続々と車が集まってくる。ここでタクシーを降り、シャトルバスに乗り込みスタート地点に向かう。シャトルバスとは実はスクールバスである。乗り込んできたおじさんがどこの中学に向かうんだい?とジョークを飛ばしみんなの笑いを誘う。

スタートに着いた。ランナーが続々と集まる。皆は笑顔の中にもこれから始まるレースの緊張が見え隠れしているように思う。
スタート地点のHopkintonは小さな町である。ボストンはイギリスの清教徒が移民した場所だから白人が多く、街はイギリスの田舎の雰囲気のチャーミングな町並みで道路も細くこじんまりとしている。スタートは道路にペンキで書かれている。永久の印である。毎年ここに世界中のランナーが集まると思うと自分もここに立てることがとても嬉しい。

スタートに向かう途中、背中にJapanと書かれたシャツを着ているご老人(失礼!)を見かけた。横に並んでチラッと伺うと山田敬三さんだった。”山田さんですね?”と声をかけ並んで歩きながら少し話ができた。このマラソンは19回目だと言う。実はこのボストンマラソンのランナーに配られたオフイシャルプログラムの中に高齢者のランナーの記事がでていてそこに山田さんが書かれていた。
山田さんは1953年のボストン優勝者でそれまでの最高記録を出したのだが実は距離の計測ミスが後からわかり正式な記録から外れてしまっている。
山田さんの事は”ショッキングなボストン優勝者”とかかれていて距離の計測ミスには触れられていなかったが”鉄人ランナーで76歳の時には3:39で年齢グループで優勝をしていてその後も素晴らしい記録を出している”と書かれていた。山田さんには必ず1953のゼッケン番号が与えられるとも書いてあった。

スタート前には米国国歌が歌われ、皆で斉唱。余計な挨拶やスピーチなどないのがいい。上をブルーエンジェルが2機すさまじいスピードでデモンストレーション飛行してくれた。
今年のレースの参加者は25,000人だという。参加資格取得したレースのスピードの早い順にゼッケンの番号が与えられ、私は7636番。全体の1/4くらい。この順番で1000番単位でコーラルが仕切られランナーはその仕切りの順番でスタートするのでレースをスムーズにする。
スタート地点は坂の上からになるが後ろを向くと道なりにずっとランナーの姿が見える。

さあ、スタート。スタートからはしばらく下り坂が続く。ここでいい気になりスピードを出すと後でダメージが大きくなるのでここは慎重に8分/マイルを刻む。
実は走り始めてわかったのだがコース上にトイレを見かけない。沿道には住宅が立ち並び沢山の人が応援しているのでその辺でするわけにもいかない。どうするのかと思ったら家並みが途切れ、少し藪になったところで数人が立ちションをしていた。そこに参加するものがいる。横を女性ランナーが通り過ぎてゆく。驚いた。アメリカで立ちションを見たのははじめてである。
ああコースにトイレの準備があればいいのにと思った。

走りは快調である。マイルあたり7分30秒のスピードを目指していたがほぼその通りに走れている。
コースは6マイルくらいまで緩やかな下り坂が続き、9マイルから少し上り、15マイル過ぎに大きく下り、その後上り、20マイル過ぎに”心臓破りの丘”と呼ばれる1KMくらい続く上りがありその後は緩やかに下るコースだ。サンフランシスコマラソンほど上り、下りは多くないが心臓破りの丘がどの位かわからない。
コースは最初、木立の中の住宅が続く静かなところでその後街に入り、街沿いを走る。コース上は殆ど応援が続き、小さい子供はオレンジを切ったものや水の入ったコップを持っていてくれたりする。
おじいちゃん、おばあちゃんは椅子を出してすわったりバーベキューをしながら応援していて今日はボストンの人にとってはお祭りなんだろうなと思いながら走る。
丁度、コースの半分の13.1マイルでタイムが1:39"だった。ほぼ順調。今回のレース前は月間300KMを走ったし、2週間前は練習で40KM走をしているのが走れる自信にもなっている。
半分きて調子がいいしスピードが落ちる気配がないので内心ほっとした。

少し余裕をもって走っていると”ああボストンマラソンに来ているんだな”としみじみ思う。教会などところどころにある歴史的建物は重厚で美しい。余裕があるので沿道で応援してくれる小さな子達が出す手にハイタッチをしながら走っているといきなりキャーという黄色い歓声が起こった。
どうしたのだろうと思ったらあるランナーが沿道の若い女の子にキスをしているではないか!!
ああ知り合いなんだろうなと思ったら他のランナーも沿道によりキスしている????
実は沿道の若い子たちは手に”KISS ME”と書いたカードをもち、”こっちに来て”と騒いでいる!!
なんだなんだ??この高校生くらいの若い女の子たちの沿道の黄色い声援は1KM程も続き、私はさすがにキスはできないがハイタッチで抜けていった。
あとで地元のランナーに聞いたら今年初めて見たよと言っていた。U~nn新しい文化がまたボストンを熱くするなと感じた。

あの若い子たちからエネルギーをもらい後半も順調である。
心臓破りの丘は緩やかな上り坂が続くが毎日走るマイコースほどではないからきついとは感じない。ただ、やはりスピードは少し落ちるが焦らずピッチを刻む事に集中する。
いままでのレースだと30KM過ぎから他のランナーにおいて行かれるのがわかるくらいスピードダウンするが今回はそれもなく、逆に坂のあと下りが続くところでスピードをあげることもできた。

30KM手前、17マイルのサインをみて、あと9マイルかと思う。こう思い始めるのは疲れてきた証拠である。9マイルは毎日練習している距離だから大丈夫だと自分に言い聞かせ、時計を見て目標タイムの3:30"には貯金が8分ある。行けるからこのままピッチを刻めと言い聞かせる。
でもやっぱり30KM過ぎは辛い。ジワリとスピードが落ちる気がするが踏ん張って踏ん張って手を前後に振りピッチを刻む。
下り坂が幸いしてくれほぼ、他のランナーと距離が離れない。たまに追い越してゆく女性ランナーがいるが彼女達は早い。小さな体の女性ランナーもいるが彼女達はどこにそんな力があるのだろうと思う。

いよいよボストンの街に入るとひときわ声援が大きくなる。沢山の人たちが沿道に集まっている。そのなかを駆け抜けて行くのは気持ちがいい。ゴールもまもなくというところで歩いてしまうランナーがいる。すると後ろのランナーが追い越し際に肩をかるくタッチする。”もうすぐだからがんばれよ”というここまで走ったランナー同士の無言の応援である。
私も歩いてしまう人に”almost there”とか声をかけながら走る。

ずっと向こうにゴールが見えてきた。あのゲートは昨日、写真を撮ったところである。ああここまで来たなと思うと嬉しさで胸がこみ上げるような気持ちになる。

ついにゴールラインを超えた。タイムは3;26"目標を達成できた。
マラソンを始めたときは夢のまた夢だったボストンマラソンに来る事ができ、タイムも目標達成できた。
ボランティアの人たちが笑顔で”Conglaturation”と声をかけてくれる。こちらこそボランティアの皆さんありがとう。
私の2009ボストンマラソンが終わった。。。。。

ボストンマラソン前 

いよいよボストンマラソンを迎えた。
6回目のマラソンでやっとボストンマラソンの出場資格を獲得し、このレースに参加できる事は走り始めて4年間ほぼ毎日積み重ねた結果であると本当に嬉しい。

ボストンへはサンフランシスコからフィラデルフィアの乗り継ぎで到着した。レッドアイという深夜に出発し、朝到着する名のとおり”目が赤くなる”睡眠不足のフライトだ。
ボストンに来るのは12年ぶりだろうか?初めて赴任したニューヨークから車でお客さんのいるボストン郊外へ何度か通ったことがある。
東部の印象は針葉樹が多く、レンガ造りの建物が多く、街の色が茶色であること。ここに久しぶりに来て東部の匂いを思い出した。

ボストンマラソンはボストン市内の西にあるHopkinsという街から市内に向けて走る一本道だ。ボストン出場が決まったときには市内のホテルはどこも満室で、おまけに値段も1泊$400くらいする高い所ばかりなのでインターネットで郊外の空いているところを検索してやっと空き部屋を見つけたのがスタート地点から10マイルくらい北のMarlboroughという街のHoliday Innだった。
ここへは電車の最寄り駅からも相当離れていてバスの便も無い不便そうなところである。

ボストン市内のコンベンションセンターでゼッケンをもらい、オフィシャルジャケットなどを購入する。
このジャケットはアディダスが作っていて毎年デザインが異なるがこれを着る事がボストンに参加できる誇りの表れのようなものである。2004年とか2006年とかのジャケットを着ている人がいる。それはこのレースに参加したんだよと言う事の表れで着ている人たちは誇らしげに見える。

ホテルまでの電車の時間に間があるのでゴール地点を確認し、無事ゴールを祈って携帯に写真を収めた。電車でこのホテル最寄のSouthborough駅まで来るのに1時間、そこからタクシー会社に電話して車を呼ぶがなかなか来ない。駅では同様にタクシーを待つ人が何組かいるがこれが実は皆、ボストンマラソンの参加者と人目でわかるのは皆、ボストンマラソンのジャケットを着ているからである
タクシーを待つ間なんとなく”どこから来た”と会話するようになり、一組はRenoだった。じゃあサクラメントのCIM走った?と聞くと”ああそれでこれにクラリファイしたんだよ””それは私と一緒だ”と意気投合、明日の検討をたたえあいその二人はタクシーに乗り込んだ。
もう一人はコロンビアから来たという。去年のシカゴマラソンでこの出場を決めたそうだ。”ゴール前で必死にダッシュしてぎりぎりでクラリファイタイムを果たしたよ”と嬉しそう。”自分もシカゴ走ったけどタイムはダメだった”と私。娘が三人ると聞き”同じだね”と意気投合、”明日は二番目の娘の誕生日だよと言うので完走メダルが一番のお土産だねと会話し、タクシーに乗り込んでいった。

30分ほどタクシーに乗りホテル到着。タクシーの運転手さんに明日の朝の予約をしてチェックイン。
ホテルは湖畔の静かなところにあるが廻りにストアなどなにもなく、来るときに女房がもたせてくれたご飯パックと佃煮、味噌汁で当日の朝は充電できるなと女房に感謝。

さあ、今日のレースはどんなレースになるかわくわく。

東京マラソン2009 

しばらくサボっていたこのマラソン日記のために少し戻り、3月22日の東京マラソンを報告する。
今年も東京マラソンはめでたく抽選に当たり、出場の機会を得た。
しかし練習不足でスタートに立ったときは完走タイムが3’45”くらいだろうと予想していた通り、結果は3'56"となんとか4時間を切るという結果になってしまった。
やはり野口みずきの言葉のとおり”走った距離は裏切らない”予想通りだった。

今年は天気もあまり良くなく、スタートで寒い思いをして走り出してから3KMくらいでトイレに行きたくなり、トイレを見つけるがやはり同じ思いの同胞も多く、レース中というのにトイレの順番まちをして6分のロスタイム。
レースは後半、浅草を折り返してから雨が強くなり、風と雨のなか楽なレースではなかった。
でも、今年は余裕もあり途中、山田敬三さんの背中を見て声をかけたり、反対側を走る土佐選手などに声援を送ることができたのは良い思い出になった。

山田敬三さんは戦後、日本人で初めてボストンマラソン優勝という偉業をされた人だが確かお年は84歳。今でも毎日20KMは走り、マラソンも年間相当でて完走をされるという。
実際の姿を拝見してその後姿は小柄で、とつとつとひたむきに走る姿には早く走ることや何位になるかなどという俗人の欲など全て抜け落ち、自分とひたすら向き合い、無我に走るという達人の域を感じる。
素晴らしいランナーである。

レース後は友達がゴールの東京ビックサイトに子供を連れて応援に来てくれていてその後皆で大江戸温泉に行き、汗を流し、居酒屋で打ち上げをして旨いビールを飲んだのが一番の思い出になった。

今年もレースには沢山のボランティアの人たちが参加し、至れり尽くせりのサービスには海外レースにない日本の心配りを感じた。
レース後隣にいたカナダからの参加選手もこのサービスは素晴らしいと言っていて日本人としては嬉しく思った。
雨、風のなかボランティアされた方々には本当にご苦労様でしたと言いたい。

サクラメントマラソン(California International Marathon) 

マラソン前夜:
サンフランシスコから車で約2時間、サクラメントに到着した。
ご存知の通り、サクラメントはカリフォルニア州の州都であり、映画俳優のシュワルツネッガーが州知事である。シュワルツネッガーといえば代表作はロボコップだろうか?自分はシルベスタスタローンのロッキーの方が好きだ。あのテーマソングはマラソンにはぴったりである。そういえば今年の東京マラソンでゴール間近の勝鬨橋であのテーマソングがガンガンかかっていて勇気づけられたっけ。

サクラメントに入るまで国道80号線は霧がでていて景色がぼやけていた。雨さえならなければいいがと明日の天気を少し心配しつつもゼッケンをもらう会場に到着した。
会場はこじんまりしたコンベンションセンターだ。ここに来て少し驚いたのは去年は約3,000人だった参加者が今年は6,000もいるという、アメリカもマラソンブームだろうか?

ゼッケンを受け取り、ホテルにチェックイン。宿はMariott Residence Innでキッチンがついたタイプだ。レースの当日は早朝、食事をするので自分で調理のできるキッチンの付いた所を予約しておいたが施設は対して期待していなかった。
ところが部屋に入ると驚いた。キッチンは冷蔵庫、電磁コンロ、食器洗い機が付いていて完璧。リビングや小さいがダイニングテーブルもあり、べットルームは別室、おまけにベットルームにまでフラットTVが付いている。そして何よりもありがたいと思ったのは明日のチェックアウトが午後1時で良いという事だ。これはマラソンに参加するランナーのためにレース後、着替えたりシャワーを浴びたりできるよう取り計らわれている。スタート地点までのバスもホテル前からも出るというのがありがたい。
去年はホスト・ホテルということでSheratonに泊まったが深夜までバンドが演奏していて明日はレースでしっかり寝なければというあせる気持ちに水をさすそうにまったく寝つけず、もう絶対ここには泊まるものかと心に決めたのである。
それに引き換え、このホテルのなんと気の利いた事だろう。また来るときはここに泊まろう。ちなみに宿泊費はマラソンスペシャルで1泊$155だった。

食事前に少し体を動かしておこうと外に出て州会議場の公園の周りを走った。カリフォルニアの州会議場だけあって建物は歴史のある重厚なものである。1周2マイル位だろうか、薄く暗くなり始めているのに他にも走る人にすれ違う。

食事をする前に少し買い物をしようと思ったけどホテルの周りにはレストランは沢山あるがコンビニのようなものは見つけられず、仕方がないので持ってきたおにぎり、スープの缶詰、ドライフルーツにビールとウイスキーを飲んで9時にはベットに入った。でもやはりなかなか寝付けない。。。ドラムの響きがないのはいいけど早く寝なければとあせるうち、11時になり冷蔵庫を空けてウイスキーの残りを飲んでまたベットに入ってようやく寝付けた。

マラソン当日:
午前4時にかけておいた目覚ましが鳴る。サンフランシスコマラソンでは自宅だったから気も緩んでいて寝坊したけどこのマラソンは寝坊は許されない。だいいち午前5時から5時半の間だけでるシャトルのバスにのらなければスタート地点に行けないのだ。
きのうの残りのおにぎりとスープを温め直して飲み、ソーセージを食べた。あとエナジーバーがあるけどお腹も膨れたので食べ過ぎないようこれは止めておいた。
シューズを履き、チップをつけてシャツにゼッケンをピンで留める。これで完了。5時過ぎに部屋を出た。ホテルのロビーでは既に人が集まっている。コヒーのサービスがあるけど必ずトイレに行きたくなるのでガマンする。
外にでると既にバスに乗るために行列ができている。行列の最後に並んでバスに乗り込み、約1時間バスは北に向かいスタート地点に到着。
バスの中は全員ランナーである(もちろん)皆、これから始まる長丁場に少し緊張している。グループで来ていのだろうか、隣に座ったオジサンは後ろの連中と少し言葉を交わしている。オジサンは2006年のボストンマラソンのジャケットを着ている。ボストンマラソンか、いいな。と羨ましい気持ちで横目に見てぼんやりとまだ暗い外をながめる。
バスが着いた。レースのスタートは7時だからまだ時間がある。外は寒いからバスで待機していて良いとの事。待機していてもやはり外が気になるのだろう、一人、二人と外に出てゆく。30分くらい中にいたけどトイレでも済ましておこうと自分も外に出た。
トイレは長い行列だが並びながらストレッチをした。そして荷物を預けカウンターに並べてある水を飲んでスタートに向かった。

レースとなると自分の事だけで頭がいっぱいだがトラックの荷台で荷物を預かりスタートまで運んでくれる人、テーブルで水を配る人、またコース途中で水やスポーツドリンク、バナナなど手渡してくれる人、マイルごと時間を知らせる人など沢山のボランティアがいる。彼らはかなり朝早くから準備してランナーが投げ捨てて行く空のコップなど懸命に掃除してくれる。見ず知らずの他人のためにできる限り良い環境を提供して、見返りなどなにも求めない。これが愛なのだろうなと思う。まるで自分の子供に対するような親の愛である。途中、エイドステーションがなかったらどうだろうか?このような沢山の人の支えがなければレースはできない。マラソンは一人で走るスポーツだがその廻りに沢山のサポーターがいることに気がついた。今年のエントリーからニューヨークマラソンが年間いくつかのレースのボランティアに参加することがレース参加の条件に入れたことはいい事だと思う。自分もなるべくこのようなボランティアに参加しようと思う。

スタート地点に並ぶ。小さなレースだからスタート地点も込み合っていないのだろうと思い、後ろを見るとずっと人が続いている、みんな余裕だな。
まず最初はWheel Chair(車椅子)のレースから。3人の参加しかなかったがこんなに近くでWheel Chairを見たことがない。レースの車は機能的で美しい。
3人はスタートの合図とともにあっという間に見えなくなった。そしていよいよフルマラソン。
スタートラインのすぐ近くにいたので合図から間もなくスタートラインを超える。マットを踏むと”ピッ”と聞こえ、これで靴につけたチップが作動する。

このマラソンにはペースメーカーが付いてくれる。このレースの目標は3:30切り。走る前、3:20か3:15のペースメーカーに付くか迷ったがいざスタートしてみるとそのペースメーカーが見つからない。
ええい、後ろから来たら付いて行けばいいやと自分のペースで走り始める。
スタートは快調だ。ともかく最初はピッチを上げすぎず抑えて、抑えてと意識を集中する。

1マイルの表示が見えた。タイムを読む声が聞こえる。7’18”聞いて疑った。このスピードじゃ早すぎるぞ。でも体は無理していない。少し様子を見てみよう。2マイル、3マイルずっと7'18”~19”で来た。
スピードは安定している。このまま続けよう。3:10のペースメーカーとしばらく走り続け、6マイルのサインを見たときに”あ~10km、あと4倍か、このままいけるだろうか?”と不安が頭をよぎった。
10マイルくらいまできたときにペースメーカーのグループが少しずつ速くなり、距離が開き始める。でもペースは落ちていないから心配ない、このペースを守っていればいいと自分にいい聞かせる。

マラソンは我慢だなーと思いながらひたすらペースを守る。半分の地点で時間が1:35"少し早い。1:37"が目安だったからこれは早すぎる?少し落とさないと後半大丈夫?自分の体に聞いてみるけど答えは”わからない”だった。

エイドステーションでは細かにスポーツドリンク、水をもらう。一度に沢山飲めないから少し口に含んでゆっくりお腹に入れる。コップに多めに入っている時は必要な分だけ口に入れて後は捨てる。
捨てるときもなるべくゴミ箱に向けて入れるが走りながらだから入るわけはない。竹箒で空のコップをかき集めるボランティアさん、散らかしてごめんなさい。
少なくても投げ捨てるときは人に向けないように、後からくるランナーに当たらないようにするのがエチケットだ。
走りながらツバを吐くひとがいるけどあれは素人ランナー。普段、走りこんでいればツバなどでないものである。

実は今回ゼッケンを受け取ったときに特別なものを買った。それはランニング中に栄養補給するゼリーだがカフェイン入りのやつを買ったのだ。前回このマラソンでゴール直前自ら停車中の車にぶつかり、危うく消防車に乗せられるところだったがその時はぶつかる瞬間、意識がうつろくのがわかった。
今回、同じことが起きないように気付にカフェインが入っているのは事故対策である。
ゼリーは2センチ角位の大きさで口に入れるにはいいが、奥歯のうらに張り付くのがなんとかならないかと気になった。日本のメーカーだったらもっと工夫するだろうなと思う。
でも18マイルから1マイル毎に一つずつ口に入れてガス欠対策。その他、エイドステーションではチューブのゼリーなどもらい間隔を決めて食べた。

後半もスピードはあまり変わらないで来る事ができた。時計を見ても時間を計算するのが面倒だからひたすらマイル表示のところで読み上げるペースだけを気にした。聞き取りにくいときは聞き返した”Say agaian”答えてくれる。ボランティアさん、ありがとう。

20マイル過ぎで7'30”。少し疲れてきた、でもこのペースは悪くない。
今まで悩まされてきたふくらはぎも痛くない。いけそうだ。ただ、気にするのはフォームを乱さず、ひたすらピッチを刻む事だけ。昨晩寝る前に読んだRnnnerの雑誌には後半、スピードが落ちてきたときにあせってスピードを上げようと自然にストライドが大きくなることが体に負担となり、早くバテてしまう事が書いてあったのを思いだした。
体は少し前傾に、視線は10メートルから20メートルくらい先を見るように。沿道には沢山の応援の人がいて応援してくれ、自分に声をかけてくれているのがわかるし、子供たちはハイタッチを求めて並んでいるが今回はひたすらフォーム、ピッチ。これだけ。これではマラソンは楽しめないけど今回だけはどうしても目標達成したいからガマン、ガマン。

17マイルくらいから残りあとXXマイルと考え始めている。疲れてきている証拠だ。あと9マイル、この距離は毎朝走っているだろ?大丈夫だよと自分に声をかける。あと6マイル、ほら、いつものコースのここからここまでだよと言っている。23マイルに来た、1マイルの間隔が長い。この表示は24マイルだったらいいのにナーなんて考えている。頭のなかはそんなこと考えていても体はひたすらフォームとピッチを刻むだけ。応援の声が”Go Home soon”(”もうすぐ家に帰れるよ”といっている。そうだ、ランナーみんな苦しくて早く家に帰りたいのだ。

ついに州議会場の公園に来た。でも公園はずっと先まで続いている。ずっと先のランナーが小さくなっても、まだ先までランナーは続いている。なんて広い公園だ。。。
去年倒れた場所に来た。あ~この場でポリスに囲まれたっけと横目で見て”今年はそれはないぞ”と心に思い、ひたすらピッチを刻む。

ついに公園の角を曲がりゴールが見えてきた。”あ~ゴールだ”と思ったらジンと来た。最後に力を振り絞ってダッシュしたいけど抑えて、抑えて。少しくらいダッシュしても体に良くないよ。マラソンの事故はゴール直前が一番多いのだから。”冷静に大人のゴールをしましょう”と最後は余裕でゴール上でカメラを向ける人に向かってガッツポーズで笑顔のゴール。

時間は3:17"。やった、目標達成!!ついにボストンマラソンのチケットを手に入れることができた!!ボストンマラソンを意識してここまで2年、目標はあきらめなければ必ず手に入ると信じたことが叶った。

家族の応援、ボランティアの皆さん。どうもありがとう。
CIM Marathon