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ボストンマラソン2009 

さあ、今日はマラソン当日である。目覚ましを6:30AMにかけたが5時過ぎには自然に目が覚めた。CA時間では午前2時だが緊張のせいだろうか?眠くは無い。

ご飯パックとスープを持ってホテルのダイニングに行くが電子レンジが見当たらない。ウエイトレスにお願して暖めてもらった。ご飯パックなんて見たこと無いだろうね。
ご飯パック、スープ、インスタント味噌汁といわしの缶詰でしっかりと腹ごしらえする。やはりレースの朝はご飯がいい。パンやバナナでは力がでない。日本人だな~と思う。
そういえばテニスの伊達公子さんは海外ツアーのときホテルの部屋に電気釜を持ち込んでいたと雑誌のインタビューにこたえていたっけ。

支度を済ませてロビーに降りる。昨日予約しておいたTommy's TaxiのBrianという大きなひげもジャの運転手がちゃんと待っていてくれた。車に乗り込みスタート地点に行くシャトルバスの出発するSTATE PARKに向かう。
STATE PARKには続々と車が集まってくる。ここでタクシーを降り、シャトルバスに乗り込みスタート地点に向かう。シャトルバスとは実はスクールバスである。乗り込んできたおじさんがどこの中学に向かうんだい?とジョークを飛ばしみんなの笑いを誘う。

スタートに着いた。ランナーが続々と集まる。皆は笑顔の中にもこれから始まるレースの緊張が見え隠れしているように思う。
スタート地点のHopkintonは小さな町である。ボストンはイギリスの清教徒が移民した場所だから白人が多く、街はイギリスの田舎の雰囲気のチャーミングな町並みで道路も細くこじんまりとしている。スタートは道路にペンキで書かれている。永久の印である。毎年ここに世界中のランナーが集まると思うと自分もここに立てることがとても嬉しい。

スタートに向かう途中、背中にJapanと書かれたシャツを着ているご老人(失礼!)を見かけた。横に並んでチラッと伺うと山田敬三さんだった。”山田さんですね?”と声をかけ並んで歩きながら少し話ができた。このマラソンは19回目だと言う。実はこのボストンマラソンのランナーに配られたオフイシャルプログラムの中に高齢者のランナーの記事がでていてそこに山田さんが書かれていた。
山田さんは1953年のボストン優勝者でそれまでの最高記録を出したのだが実は距離の計測ミスが後からわかり正式な記録から外れてしまっている。
山田さんの事は”ショッキングなボストン優勝者”とかかれていて距離の計測ミスには触れられていなかったが”鉄人ランナーで76歳の時には3:39で年齢グループで優勝をしていてその後も素晴らしい記録を出している”と書かれていた。山田さんには必ず1953のゼッケン番号が与えられるとも書いてあった。

スタート前には米国国歌が歌われ、皆で斉唱。余計な挨拶やスピーチなどないのがいい。上をブルーエンジェルが2機すさまじいスピードでデモンストレーション飛行してくれた。
今年のレースの参加者は25,000人だという。参加資格取得したレースのスピードの早い順にゼッケンの番号が与えられ、私は7636番。全体の1/4くらい。この順番で1000番単位でコーラルが仕切られランナーはその仕切りの順番でスタートするのでレースをスムーズにする。
スタート地点は坂の上からになるが後ろを向くと道なりにずっとランナーの姿が見える。

さあ、スタート。スタートからはしばらく下り坂が続く。ここでいい気になりスピードを出すと後でダメージが大きくなるのでここは慎重に8分/マイルを刻む。
実は走り始めてわかったのだがコース上にトイレを見かけない。沿道には住宅が立ち並び沢山の人が応援しているのでその辺でするわけにもいかない。どうするのかと思ったら家並みが途切れ、少し藪になったところで数人が立ちションをしていた。そこに参加するものがいる。横を女性ランナーが通り過ぎてゆく。驚いた。アメリカで立ちションを見たのははじめてである。
ああコースにトイレの準備があればいいのにと思った。

走りは快調である。マイルあたり7分30秒のスピードを目指していたがほぼその通りに走れている。
コースは6マイルくらいまで緩やかな下り坂が続き、9マイルから少し上り、15マイル過ぎに大きく下り、その後上り、20マイル過ぎに”心臓破りの丘”と呼ばれる1KMくらい続く上りがありその後は緩やかに下るコースだ。サンフランシスコマラソンほど上り、下りは多くないが心臓破りの丘がどの位かわからない。
コースは最初、木立の中の住宅が続く静かなところでその後街に入り、街沿いを走る。コース上は殆ど応援が続き、小さい子供はオレンジを切ったものや水の入ったコップを持っていてくれたりする。
おじいちゃん、おばあちゃんは椅子を出してすわったりバーベキューをしながら応援していて今日はボストンの人にとってはお祭りなんだろうなと思いながら走る。
丁度、コースの半分の13.1マイルでタイムが1:39"だった。ほぼ順調。今回のレース前は月間300KMを走ったし、2週間前は練習で40KM走をしているのが走れる自信にもなっている。
半分きて調子がいいしスピードが落ちる気配がないので内心ほっとした。

少し余裕をもって走っていると”ああボストンマラソンに来ているんだな”としみじみ思う。教会などところどころにある歴史的建物は重厚で美しい。余裕があるので沿道で応援してくれる小さな子達が出す手にハイタッチをしながら走っているといきなりキャーという黄色い歓声が起こった。
どうしたのだろうと思ったらあるランナーが沿道の若い女の子にキスをしているではないか!!
ああ知り合いなんだろうなと思ったら他のランナーも沿道によりキスしている????
実は沿道の若い子たちは手に”KISS ME”と書いたカードをもち、”こっちに来て”と騒いでいる!!
なんだなんだ??この高校生くらいの若い女の子たちの沿道の黄色い声援は1KM程も続き、私はさすがにキスはできないがハイタッチで抜けていった。
あとで地元のランナーに聞いたら今年初めて見たよと言っていた。U~nn新しい文化がまたボストンを熱くするなと感じた。

あの若い子たちからエネルギーをもらい後半も順調である。
心臓破りの丘は緩やかな上り坂が続くが毎日走るマイコースほどではないからきついとは感じない。ただ、やはりスピードは少し落ちるが焦らずピッチを刻む事に集中する。
いままでのレースだと30KM過ぎから他のランナーにおいて行かれるのがわかるくらいスピードダウンするが今回はそれもなく、逆に坂のあと下りが続くところでスピードをあげることもできた。

30KM手前、17マイルのサインをみて、あと9マイルかと思う。こう思い始めるのは疲れてきた証拠である。9マイルは毎日練習している距離だから大丈夫だと自分に言い聞かせ、時計を見て目標タイムの3:30"には貯金が8分ある。行けるからこのままピッチを刻めと言い聞かせる。
でもやっぱり30KM過ぎは辛い。ジワリとスピードが落ちる気がするが踏ん張って踏ん張って手を前後に振りピッチを刻む。
下り坂が幸いしてくれほぼ、他のランナーと距離が離れない。たまに追い越してゆく女性ランナーがいるが彼女達は早い。小さな体の女性ランナーもいるが彼女達はどこにそんな力があるのだろうと思う。

いよいよボストンの街に入るとひときわ声援が大きくなる。沢山の人たちが沿道に集まっている。そのなかを駆け抜けて行くのは気持ちがいい。ゴールもまもなくというところで歩いてしまうランナーがいる。すると後ろのランナーが追い越し際に肩をかるくタッチする。”もうすぐだからがんばれよ”というここまで走ったランナー同士の無言の応援である。
私も歩いてしまう人に”almost there”とか声をかけながら走る。

ずっと向こうにゴールが見えてきた。あのゲートは昨日、写真を撮ったところである。ああここまで来たなと思うと嬉しさで胸がこみ上げるような気持ちになる。

ついにゴールラインを超えた。タイムは3;26"目標を達成できた。
マラソンを始めたときは夢のまた夢だったボストンマラソンに来る事ができ、タイムも目標達成できた。
ボランティアの人たちが笑顔で”Conglaturation”と声をかけてくれる。こちらこそボランティアの皆さんありがとう。
私の2009ボストンマラソンが終わった。。。。。

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ボストンマラソン前 

いよいよボストンマラソンを迎えた。
6回目のマラソンでやっとボストンマラソンの出場資格を獲得し、このレースに参加できる事は走り始めて4年間ほぼ毎日積み重ねた結果であると本当に嬉しい。

ボストンへはサンフランシスコからフィラデルフィアの乗り継ぎで到着した。レッドアイという深夜に出発し、朝到着する名のとおり”目が赤くなる”睡眠不足のフライトだ。
ボストンに来るのは12年ぶりだろうか?初めて赴任したニューヨークから車でお客さんのいるボストン郊外へ何度か通ったことがある。
東部の印象は針葉樹が多く、レンガ造りの建物が多く、街の色が茶色であること。ここに久しぶりに来て東部の匂いを思い出した。

ボストンマラソンはボストン市内の西にあるHopkinsという街から市内に向けて走る一本道だ。ボストン出場が決まったときには市内のホテルはどこも満室で、おまけに値段も1泊$400くらいする高い所ばかりなのでインターネットで郊外の空いているところを検索してやっと空き部屋を見つけたのがスタート地点から10マイルくらい北のMarlboroughという街のHoliday Innだった。
ここへは電車の最寄り駅からも相当離れていてバスの便も無い不便そうなところである。

ボストン市内のコンベンションセンターでゼッケンをもらい、オフィシャルジャケットなどを購入する。
このジャケットはアディダスが作っていて毎年デザインが異なるがこれを着る事がボストンに参加できる誇りの表れのようなものである。2004年とか2006年とかのジャケットを着ている人がいる。それはこのレースに参加したんだよと言う事の表れで着ている人たちは誇らしげに見える。

ホテルまでの電車の時間に間があるのでゴール地点を確認し、無事ゴールを祈って携帯に写真を収めた。電車でこのホテル最寄のSouthborough駅まで来るのに1時間、そこからタクシー会社に電話して車を呼ぶがなかなか来ない。駅では同様にタクシーを待つ人が何組かいるがこれが実は皆、ボストンマラソンの参加者と人目でわかるのは皆、ボストンマラソンのジャケットを着ているからである
タクシーを待つ間なんとなく”どこから来た”と会話するようになり、一組はRenoだった。じゃあサクラメントのCIM走った?と聞くと”ああそれでこれにクラリファイしたんだよ””それは私と一緒だ”と意気投合、明日の検討をたたえあいその二人はタクシーに乗り込んだ。
もう一人はコロンビアから来たという。去年のシカゴマラソンでこの出場を決めたそうだ。”ゴール前で必死にダッシュしてぎりぎりでクラリファイタイムを果たしたよ”と嬉しそう。”自分もシカゴ走ったけどタイムはダメだった”と私。娘が三人ると聞き”同じだね”と意気投合、”明日は二番目の娘の誕生日だよと言うので完走メダルが一番のお土産だねと会話し、タクシーに乗り込んでいった。

30分ほどタクシーに乗りホテル到着。タクシーの運転手さんに明日の朝の予約をしてチェックイン。
ホテルは湖畔の静かなところにあるが廻りにストアなどなにもなく、来るときに女房がもたせてくれたご飯パックと佃煮、味噌汁で当日の朝は充電できるなと女房に感謝。

さあ、今日のレースはどんなレースになるかわくわく。

東京マラソン2009 

しばらくサボっていたこのマラソン日記のために少し戻り、3月22日の東京マラソンを報告する。
今年も東京マラソンはめでたく抽選に当たり、出場の機会を得た。
しかし練習不足でスタートに立ったときは完走タイムが3’45”くらいだろうと予想していた通り、結果は3'56"となんとか4時間を切るという結果になってしまった。
やはり野口みずきの言葉のとおり”走った距離は裏切らない”予想通りだった。

今年は天気もあまり良くなく、スタートで寒い思いをして走り出してから3KMくらいでトイレに行きたくなり、トイレを見つけるがやはり同じ思いの同胞も多く、レース中というのにトイレの順番まちをして6分のロスタイム。
レースは後半、浅草を折り返してから雨が強くなり、風と雨のなか楽なレースではなかった。
でも、今年は余裕もあり途中、山田敬三さんの背中を見て声をかけたり、反対側を走る土佐選手などに声援を送ることができたのは良い思い出になった。

山田敬三さんは戦後、日本人で初めてボストンマラソン優勝という偉業をされた人だが確かお年は84歳。今でも毎日20KMは走り、マラソンも年間相当でて完走をされるという。
実際の姿を拝見してその後姿は小柄で、とつとつとひたむきに走る姿には早く走ることや何位になるかなどという俗人の欲など全て抜け落ち、自分とひたすら向き合い、無我に走るという達人の域を感じる。
素晴らしいランナーである。

レース後は友達がゴールの東京ビックサイトに子供を連れて応援に来てくれていてその後皆で大江戸温泉に行き、汗を流し、居酒屋で打ち上げをして旨いビールを飲んだのが一番の思い出になった。

今年もレースには沢山のボランティアの人たちが参加し、至れり尽くせりのサービスには海外レースにない日本の心配りを感じた。
レース後隣にいたカナダからの参加選手もこのサービスは素晴らしいと言っていて日本人としては嬉しく思った。
雨、風のなかボランティアされた方々には本当にご苦労様でしたと言いたい。

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